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未来への提言 空調界への期待とエール

総合研究所報 No. 27, 2013

東京電機大学

射場本 忠彦

東京オリンピックは
空調界の技術舞台

今日は10月10日。この日にピンとくる方は団塊の世代を含め、まだ数多く居られるのではないかと推察する。1964年(昭和39年)に東京で催された第18回夏季オリンピックの開催日であり、以降、“体育の日”として国民の祝日となった(現在はハッピーマンデー制度により10月の第2月曜日)。加えて、先月アルゼンチンで開かれたIOC総会で、イスタンブール、マドリードを抑えて、東京が2020年(平成32年)第32回夏季オリンピック開催予定地に選出されたことは、大方の日本国民が知るところである。

所で、次の東京オリンピック開催期間が7月24日~8月9日と言うことに驚き・危惧を覚えておられる向きは、筆者も含め、空調関係者には少なくないのではないかと想像する。

言うまでもなく、東京の暑さの心配である。現在、日本国の大きな課題である電力需給の綱渡りや、エネルギー価格高騰の難問が、7年後には解消されていることを祈念する他はない。ただ、マラソンの記録は望むべくもなく、沿道に居並ぶ蒸暑に不慣れな海外からのサポーターの中から、いわゆる“熱中症”で倒れる観客が続出する事態も想像に難くない。さし当たり、並木に吊架線状に設置されたドライミスト装置から吹き出す白煙の様相を思い浮かべるが、例えば簡便な冷却服の具現化など、空調界の自由な発想力を望みたい。

ところで、10月10日はその真偽のほどは別として、東京地方の秋霖後の“晴れの特異日”と言われており、例年であればまさに秋の行楽シーズンの最中である。しかし、なんと今日の外気温度は、全国927観測地点の内116地点が30℃以上を記録している。更に昨日には、新潟県糸魚川市で10月としては国内観測史上最高の35.1℃に達した他、51地点でそれぞれの10月の観測史上最高外温度を記録している。
なお、この8月は四万十市では4日連続で40℃を越え、12日には41.0℃と国内史上最高外気温度を更新している。また、同日は全国の観測点235地点で35℃以上の猛暑日を、700を越える地点で30℃以上の真夏日であったと報道されている。かつまた11日深夜、東京都心の最低外気温度は30.4℃で観測史を塗り替えており、今年の日本列島はピーク値だけでなく積算値でも暑く長い夏であった(日経新聞、産経新聞HPより数値を抽出)。

時期を共通して、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第36回総会(9月23日~26日、於ストックホルム)において「気候システムの温暖化については疑う余地がない」、「人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の主な要因であった可能性が極めて高い」、「二酸化炭素の累積排出量と世界平均地上気温の上昇量はほぼ比例関係にある」としたが採択されている(文科省HPより)。

とは言え、我が国ではCO2(地球温暖化・換算ガスを含む)排出量削減の方向性については、大方のコンセンサスを得ているものと思っているが、オフィシャルなが今頃とは、やや不思議な感覚が残る。しかしながら、昨今のCO2削減のかけ声は、発信元であるべき政府やマスコミにおいてさえ、やや“お疲れ気味”の印象を否めない。東日本大震災の津波よる直接的な東京電力福島第一原子力発電所事故、および間接的影響で停止した他電力原子力発電所の実情を背景に、その余裕を失ったのか、ニュースバリューとして色褪せてしまったのか、訴求のタイミングを計っているのか定かではないが、スローダウンした動きと、ややミスリードしているなと思える焦りの所行が散見される、と受けとめているのは筆者だけであろうか?

いずれにせよ、CO2削減の世界的な大潮流が変わるものではない。とりわけ、多くの場面で関わらざるを得ない斯界としては、CO2削減の努力を“ぶれずに継続し続けること”が重要であるし、建設ラッシュが予想される東京オリンピックの開催は、まさに、技術面でもビジネス面でも大きな舞台である。

不思議な事実

不思議というか、正直というか、最高外気温度の更新が続出した今夏においても“空調(冷房)が効かなかった”と言う話は、少なくとも筆者には聞こえてこない。即ち、負荷計算結果が過大であったのか、設備機器容量の選定が過大であったのか、はたまた両者が重畳した結果であったのか、ケースバイケースであろうが、エンジニアリング的には“まずさ”(敢えて、“失敗”、“恣意的”とは言いいたくない)の露呈に他ならない。設計と現実の乖離が綿々とまかり通る理不尽な実態は、いずれ歪みが来るであろうとの思いを筆者は拭いきれないでいる。

今夏の暑さから見ると、変更するしないは別として、熱負荷計算の基本外乱である気象データの再確認、また、熱負荷計算上の元となる内部発熱量や使用スケジュールを含む建物の設定条件の再検討、あるいは、負荷計算結果に依拠して選定される熱源装置・空調機器や配管・ダクト類、計測・制御機器やアルゴリズムなど、空調システム全体を俯瞰した“安全率”(敢えて、“割増率”、“安心率”とは言いいたくない)の再認識も不可欠で、“過大に見る習慣”から脱皮を始める必要があると筆者は強く感じている。

勿論、言うは易く行うは難しことを過去の歴史は示している。しかし、見方を変えると、空調設備技術者への期待が高まっているこの時機を、残念ながら斯界として生かしきれていない、あるいは、甘んじている雰囲気すらあるのではなかろうか?

たまたま、筆者は最近まで大学キャンパスの創設を実行する立場にあり、建設(業界)の実態に直面し目を疑う状況にしばしば遭遇した。どの社会(業界)にも多かれ少なかれヒエラルキーは存在するが、建設業界のそれは異様とも思える。詳細は省略するが「片務性」に起因する“ハラスメント”は、軽重の差こそあれ枚挙に暇がない。歴史的な慣習もあり大変に難しい事項を含んでいると思うが、より透明性が高い、卓越したバリューを有する業態形成へと、粘り強く、かつ毅然と進んで進んでもらいたいものである。正直者が損をする社会であってはならない。

個人的と前置きするが、最近、とみにハラスメントの臭いを感じることの一つが、電力会社の大半が赤字状態に陥ったことである。東日本大震災後の各種対応等に対する見解、あるいは、その置かれた状況は各社毎に異なるし、赤字も黒字も混在するのは私企業として当然であるが、大半の電力会社が赤字決算というのは不健全な状態としか思えない。

片や「経営努力なき電力会社の開き直り……」とか様々な声もあるように、電力原価を構成する諸項目に対する真剣なスリム化の努力は必須であるが、電力の自由化がいまだ途上である現在、公益性や安定供給の義務を持たせながら赤字計上の常態化は如何なものかと考える。仮に、従業員個人の生活給やモチベーションが犠牲なっているとすると、空しさすら覚えるし、災害時の停電復旧が遅延するなどの不安も拭えない。何よりも、巨額な国富の流失は国力の低下を誘発する。背景として、国自体(議員や役人)が赤字国債の慢性化に麻痺した感覚を持ちすぎていないかとも憂慮する。

元々の因果は政府主導で進めたプロジェクトであり、今少し、政府サイドの責任を過去をも含み自省して、バランスある決断とソリューションがあっても良いと素直に思うのは、小市民的感覚であろうか?

不誠実な実態からの脱皮

前述の様に、CO2削減の世界的大潮流とその解決に直接関わることが多い斯界に取って、社会的ニーズに応えていくことが重要であると考えるが、これまでの歩みは遅々として鈍く、“パワーハラスメント的”受け身状況がなかなか改善されない状況に、苛立ちを隠せないでいる心ある空調界諸氏もは少なくないと想像する。

施主・設計者・ジェネコン・サブコン、あるいは役所・マスコミに限らず、建前としての省エネルギー・CO2削減の理解、即ち、総論賛成・各論反対の実態に多くの場面で遭遇する。従って“回収年数は何年”などと言った真面目な議論が空ろに響いてしまうケースも少なくない。
とは言え、正常化への道を歩むことの努力を怠っては、それこそ元の木阿弥である。これまで、やや受動的な範疇に留まっていた省エネルギーを、能動的なエネルギー活用へと一歩踏み出すことも重要であろう。

筆者が考える“建築と省エネルギー”の基本的ヒエラルキーとその現況を(1)~(6)に示すが、「(6)制度面からの省エネルギーの実現」を充実させる努力が重要であり、一歩一歩解決していくことが苛立ち解消への、遠くて近い道と考える。

  1. 無駄をしない。

    → 快適性や利便性を落とすことは筋違いである。ただし、過剰品質の排除は大変重要な課題である。ライフスタイルの見直しも重要。

  2. 機器単体の効率を上げる。

    → かなりの所まで来ている。ただし、メーカーオリエンテッドの部分が残る。ユーザー側の要求部分の改善余地が大いにあろう。

  3. 設備システムの効率を上げる。

    → (2)ほどではないにせよ、かなりの所まで来ている。ただし、設計・施工・運転管理の巧拙が表面化し易い。

  4. 建物+設備システムとしての効率を上げる。

    → 建物側への依存度が大きい。ただし、設計・施工・運転管理の巧拙が表面化し易い。性能発注、コミッショニング、エネルギーサービス会社(ESCO)、耐用性・維持容易性能基準などの芽がでてきた。何れにせよ、評価手法の開発や、性能向上を誘導する(6)制度面の見直しが重要であろう。

  5. 都市+建物+設備システムとしての効率をあげる。

    → BCP(Business Continuity Plan)、DCP(District Continuity Plan)と建物・設備の連携を計るとともに、「地域熱源プラント+搬送ネットワーク+建物内設備+室内環境形成」を一気通貫した網羅的制御による、面的エネルギーの効率向上が重要であろう。

  6. 制度面からの省エネルギーの実現

    → 「容量設計」から「性能設計」への転換を進める必要がある。性能設計を促進するための条件整備が不可欠。技術的な問題に留まらず、意識や制度の問題なども含み解決すべきことは多い。

(1)~(6)に示した中から「(6)制度面からの省エネルギーの実現」に着目し、整備すべき解決方法の私案を①~⑧に示す。

①設計面、施工面、運転管理面などごとに、品質とリンクした報酬料率を見直す。また、性能の向上を誘起する、あるいは実現した暁の各種インセンティブを整備する。
②設備の引渡し時期を、建築の引渡し時期から1~3年ほど遅らせ、設計条件と使用実態とのズレなどをにらんだチューニングを行う。また同時に、年度をまたぐ資金担保の方法を、税制面なども含めて整備する。
③契約方法や工事形態そのものを見直すとともに、引渡し教育の進め方や、設計仕様書、性能仕様書、運転管理マニュアルなどの標準フォーマットを整備する。
④いつ、どこで、誰に責任があるのかを明確にさせるとともに、それにリンクした保険制度などを整備する。
⑤コミッショニングの概念を整備する。
⑥性能発注の方法を標準化させる。
⑦問題の要因が性能設計の手法を確立させる。
⑧建物側か、設備側か、運転管理側かなどを区分けできる技術を確立させる。

いざ①~⑧を正面からとらえようとすると難しい壁に突き当たる。立場や目的、嗜好や思惑などが錯綜し、対象とするケースごとに期待される性能は無限に存在する。とりわけ、立地、建物本体、天候、在室人員、内部発熱、管理体制、運転方法、エネルギー価格などの変動要因に加え、コストとプライスなどの泥臭い話までもが重なりあって評価軸を複雑に絡み合わせてしまう。原則的には当事者問の問題として評価項目を取り決めて、正しいデータに基づく、定めた指標から性能を判断すれば良い。

おわりに

建設ラッシュが予想される東京オリンピックの開催は、まさに、技術面でもビジネス面でも大きなチャンスと舞台であり、斯界のオリンピックでもある。今思うに、先の東京オリンピック当時は、日本の国力はまだ大きくないし、戦後の復興を一気に成し遂げる良いチャンスでもあったと考えられる。今と違い「個人情報保護法」や「コンプライアンス」などの堅苦しさもなかったので、例えばオリンピック関係工事以外は工事停止要請が発動されるなど、相当強引な手法がまかり通った時代であったようだ(筆者は高校2年生)。その時に建造・製造された国立競技場、日本武道館、首都高速道路、名神高速道路、東海道新幹線、東京モノレールなど、現在も健在である。今、これらが無かったとしたらどうなっているのだろうか?推し測り難い。

特記すべきは、汐留JCTと京橋JCTとの間、銀座の街を取り囲むように走る約2kmの自動車専用道路(東京高速道路(株)によるKK線、西銀座デパートや銀座コリドー街等の屋上部分)をご存じの方も多いと思うが、当時その長い建物地下の二重スラブに水蓄熱槽が作られ、現在も冷房に利用されていることを知っている方は少ないのではなかろうか。まさに、先の東京オリンピックを契機に作られた、言わば“建築設備の現代遺産”であり、急ピッチで設計・施工されたにも係わらず、熱負荷変動の吸収、電力の負荷平準化が為されていたことに脱帽である。

折しも東日本大震災以後、設計条件等への非難を避ける責任逃れの感もするが、気象庁や国土交通省による『今まで経験(体験)したことのない○○』と言った表現を多く聞くようになった。こちらは、設計時の想定値が小さ過ぎたことに対する非難からの回避であり、前述した「40℃を越える外気温度でも冷房が効いていること」とは逆の意味合いを持つ。

正統派のエンジニアリング(プロの能力と豊かな教養がもたらす、人のための技術)による合目的的な環境形成の実現と、データに基づく省エネルギー・CO2削減の公表こそが、世間に認知してもらえる確実な手段で、まさに斯界のプレステージとなろう。ぜひとも、今まで経験(体験)したことのない創造性豊かでやわらかな発想から“なるほど”と唸らせて欲しいものである。