Menu

未来への提言 ビジョンを語ること

技術研究所報 No. 30, 2016

早稲田大学

田辺 新一

ル・コルビュジエの建築が世界遺産に登録されたことにより,上野の国立西洋美術館もニュースに取り上げられた.その時に,前川國男,坂倉準三と並んで紹介されていた,吉阪隆正という建築家がいる.フランスに留学していたのは,坂倉,前川よりもかなり後の時代であるが,吉阪隆正は早稲田大学建築学科の教授であった.その講義を亡くなる直前の大学二年生の時に受けた.ぐうたら学生だったこともあり,他のことはあまり覚えていないのだが,印象に残っている言葉がある.「半歩先は新しい,一歩先は先進だ,二歩先はきちがいだ」,半歩先を行くと世の中の人から持て囃されるが,二歩先は誰も理解してくれない.半歩先を狙うのはいいが,空中に足があるので,一歩先を見ていないと足を掬われる.この言葉には,対があり,「半歩手前は古くさい,一歩手前は時代遅れ,だけど二歩手前は新しい」.まさに,歴史は繰り返すので,これまでのことをよく知っておくことが必要だと言っているようである.

前置きが長くなったが,高砂熱学工業と初めて仕事をさせて頂いたのは,約25年前のことである.日建設計の松縄堅氏,飯塚宏氏の依頼で品川青物横丁にある松下情報通信システムセンター(当時)に導入する床吹き出し空調の研究をさせて頂いてからだ.高砂熱学工業が機械設備工事を担当されていた.床吹き出し空調に関しては,ロジャースのロイズオブロンドン,ノーマン・フォスターの香港上海銀行が同方式を採用したことで国内外でも大きな話題になっていた.品川青物横丁のビルは大規模な床吹き出し空調を日本で行ったほぼ第一号のオフィスビルである.井上宇市先生にこのビルで床吹き出し空調を採用するかも知れないと話が伝わって騒ぎがあった.冷房をするようになって,天井からのアネモスタットによる混合拡散空調をするようになった.それなのに,足下から冷風を吹くなど歴史に逆行しても大丈夫かとの御指摘があり,居住者が不快にならないか実験を行って確かめることになった.その実験計画の立案を依頼された.欧州に比較して人員密度が高く,熱負荷も高く心配したが,床チャンバーにすると床面を通しての熱貫流があるため,吹き出し空気は思ったほど冷たくならず,どうにかなりそうだった.また,床吹き出し口をナイトパージに利用して自然換気を行うことも可能になった.ついでに,ファンを内蔵したパーティションも導入しタスク・アンビエント空調の先駆けとなった.昨年,高砂熱学工業と接触を利用したタスクデスクを開発したのも何かの因縁があるかも知れない.

1995年にはASHRAE(米国暖房冷凍空調学会)のサンディエゴ大会で松縄堅氏が英文発表されたので,それに同行した.当時,米国では床吹き出し空調を採用したビルはほとんどなく,カリフォルニア大学バークレー校が開催したワークショップではASHRAEトランザクションに掲載された事例が華々しく紹介された.その後,ASHRAEが出版する床吹き出し空調デザインマニュアルでも大きく取り上げられている.

そのご縁で,知り合いになった高砂熱学工業から東北大学に隣接する宮城県の産学協同センター,今でいうインキュベーションセンターに新しい実験室を造るのでご協力頂けないかという依頼を受けた.デンマークから帰国してあまり月日が経っていなかったこともあり,欧州風の熱的快適性の研究を行ってはいたが,その発想には驚いた.模擬オフィスを作成して床吹き出し空調,タスク・アンビエント空調や照明などを変化させて,そこで働く人の生産性や発想が向上するか確認するという目的であった.研究所の岡田孝夫氏も関わっておられたと記憶している.当時の常識からすると二歩先ぐらいを行っている研究だった.東北大学の心理学の先生に評価を依頼されており,新しい空調システムの影響があるかどうかを確認するものであった.欧州でもスウェーデンの建築研究所に当時在籍していたデビット・ワイオン氏ぐらいしか,温熱環境と生産性や在室者の行動を研究している学者はおらず,彼の研究さえもそうなりそうなのは分かるが,再現性や試験条件が明確に述べられていないこともあり,当時は半信半疑の学者も多くいた.デビット・ワイオン氏はサーマルマネキンを用いて車室内の快適性評価に取り組んだり,ファンガーのPMV(予想平均申告)においてプロビット法を用いてPPD(予想不満足者率)を関係づけるアイデアを提案していたのを知っていたので,その先見性に注目すべきだったのだが,当時の自分には二歩先は理解できなかった.そのような中の実験研究であるから,快適性に関しては結果が出るだろうが,心理試験の結果に明確な差が出るとは信じていなかった.環境が悪くても頑張れば能力は発揮できると思っていたからだ.その前後1990年,高砂熱工業総合研究所報No.4に「オフィス・人間・快適性」pp.79-83という拙文を寄稿している.

仙台での実験に関しては,その後数編の学会発表は行われたようだが,ほとんど注目されることはなかった.この原稿を書くに当たってGoogleやホームページを調べてみたが,痕跡がネットには残っていない.唯一,国立国会図書館の資料に庄子喜章氏が1994年,高砂熱学工業総合研究所報No.8に「温熱環境と知的作業」p.45-57という寄稿をしていることが示されていた.そのまとめによると,「オフィスワーカーの作業成績に対する温熱環境の影響を調べるため、個人差、学習効果などの時系列的効果、作業直前の活動などの二次的変数を統制する方向で一連の実験を進めてきた。しかし、今回設定された室温の範囲内では、作業成績の指標としての作業意欲、作業の速さ、作業の正確さに対する室温の影響はほとんど見出せなかった.」となっており,早すぎた研究であったことがわかる.その後,北欧や米国で知的生産性の研究が盛んになり,自分自身も1999年のIndoor Airエジンバラ会議のワークショップであまりにも議論が活発なので,追試の研究を行うことになる.このことを考えると当時なぜその重要性にもっと気がつかなかったかと反省する.ところで,高砂熱学工業のホームページでは過去の研究が2000年までしか遡れないのは少々残念である.二歩手前で何を考えていたのかが分かることも大切であると思うからである.

iPhoneをみて,画期的だ,イノベーションだと絶賛するが,私には昔使用していたシャープのザウルスと同じような気がしてならない.デザインや機能は確かに優れているが,我々日本人は自信を失って機能不全に陥っている気がする.日本経済がバブルの頃にジャパン・アズ・ナンバーワンとエズラ・ヴォーゲルに言われて舞い上がったが,現在は経済も低迷,日本の大学ランクも低下,家電・電子製品の衰退,アジア諸国の台頭など様々な状況からジャパン・"ワズ"・ナンバーワンと自嘲気味に思う日々である.しかしながら,自分達の空調や省エネ分野は大丈夫だ,日本が一番だと信じて他に学ばないうちは駄目かも知れない.

ここ数年,空気調和・衛生工学会の21世紀ビジョン,8つのトライ,日本建築学会の中長期計画,建築設備技術者協会のVISION2030の策定に関わることで感じたことがある.先人達がどのようなことを考えてきたのか,我々はその道のりの先にいる.今日現在のことに煩雑に追われる日々ではあるが,半歩手前,一歩手前,二歩手前をよく勉強しながら,一歩先,二歩先のビジョンを語ることが必要ではないかと思うのである.空気調和・衛生工学会も来年100周年を迎える.その記念事業として100年前の雑誌からアーカイブしようとの計画がある.先人が考えていたとんでもないことに触れてみたい.もちろん,空調設備の先人は日本のみではない.一歩先を進むためにも,二歩手前を知り,二歩先を想像することが大切だろう.なんだか,水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」のようになってきた.三歩進んで 二歩さがる 人生は ワン・ツー・パンチ.