未来への提言
情報・物質・熱・エネルギ・
ひと・宇宙・・・
高砂熱学次の100年に向けて
イノベーションセンター報 No.37, 2023
宇宙航空研究開発機構
(JAXA)
名誉教授 工学博士
稲谷 芳文
高砂熱学創立100周年おめでとうございます。次の100年を考えるにあたって、新たな環境である「宇宙」の今後を考える視点からみなさまへの期待を申し上げます。
人類の宇宙活動は、第二次大戦後の米ソ冷戦から始まり、相手方に核ミサイルを打ち込む技術から出発して、有人ロケットの技術に進化した。この宇宙競争は1969年アポロ計画による人類の月着陸で決着をみて、その後は経済性を目指した1980年代のスペースシャトルから、国際共同で行う宇宙ステーションへと発展し、地球周回軌道での持続的な有人活動までに至った。
この間、米露中と日本を含む西側の主要国において、国が宇宙開発を独占して行う状況が続いたが、宇宙を利用した通信や放送などの分野で1980年代から民間事業の対象として成長を始めた。現在では宇宙空間を使った高度な情報伝達や、多様な観測技術によって地球や宇宙の情報利用ビジネスへと発展してきた。米国ではスペースシャトルの退役を機に、2010年代から地球周回軌道への輸送は民間の事業に委ねる政策へと転換した。この結果現在では、多くの輸送ベンチャーが現れ、スペースXに代表される民間ロケットが打ち上げ市場を席巻し、有人輸送も担う状態に至っている。
宇宙の探査や情報を電波や光に乗せて伝える分野では、技術進化の結果、サイエンスの世界で、ビッグバンからの宇宙の進化や、銀河や太陽系の成り立ちなど、人類の知識は飛躍的に拡大した。また宇宙を使った情報通信や測位などの分野では、軍用としてスタートしたインターネットやGPSが民生利用の世界で、我々の生活を一変させた。これらのイノベーションは「情報」すなわちビットという、極めて小さいエネルギで演算処理や情報伝達するための、半導体や通信やソフトウェアの技術が、1.5年で2倍(ムーアの法則)すなわち10年で二桁という進化を40年にわたって遂げてきた結果の応用としてもたらされたのである。
これに対して、人間が宇宙空間で生きるための技術や、宇宙に出かけるための輸送の分野では、物質や熱やエネルギそのものを扱う技術が不可欠である。例えば宇宙用ロケット推進における現実的な性能向上策は、液体水素を燃料とすることで、それ自身は既に実用化されているが、エンジン自身の性能は、宇宙開発の初期の時代から1−2割程度向上したに過ぎない。むしろロケットの次の進化の方向性は、輸送コストを桁違いに下げることで、使い捨て型から航空機のような高頻度往還運航型への転換と、燃料としての水素の低コスト化が、その鍵であるとされ、地上の水素エネルギ社会の構築における水素利用の一般大衆化との連携が求められている。
また構造材料の分野では、鉄やアルミ合金などの金属材料から、複合材やセラミクスなどの軽量かつ高温に耐える新材料へと進化したが、ここでも数倍という程度の進化で、材料の革命という意味では、超伝導材料や桁違いの比強度や熱伝導性を発揮するカーボンナノチューブなどの新材料が期待されるが、まだ実用には遠い。3Dプリンタなど製造技術の進化による、最適設計や低コスト化が期待されるが、これ自身で桁違いの性能には至らない。
すなわち、情報技術の世界とは異なり、物質やエネルギそのものを扱う分野においては、桁違いの世界を作ることは容易ではない。それゆえにさまざまな工夫やアイデアによって、材料技術や製造技術の進化、および地上の他の分野の活動との連携とともに、高度な熱交換や相変化や化学反応や、電磁力や核エネルギも含めたエネルギ変換技術やそれらの社会実装などのエンジニアリングの洗練が求められるのである。また、光合成や植物生産や微生物の役割など生物の効果も含め、宇宙で人間の生活空間を創るための、多くの研究開発の余地がある。この辺りにこそ100年後の高砂熱学の活躍の場があるだろうというのが以下の議論である。
宇宙ステーションの次のステップは、月や火星への人類の進出と持続的活動であり、その動きは始まっている。そこでは、実体としての人間が、呼吸をし、食物を摂取し、排泄し、居住環境を維持する、というリアルワールドの技術が、まさに死活的に重要となる。また、必要な物資を地球から運ぶのでなく、現地での資源の調達(in-situ resource utilization)が必須の要件となってくる。人間の生活に必要な酸素、水素、炭素などの月火星現地での調達である。月の極域に存在するとされる水を利用して、その分解により月での物質とエネルギの閉鎖循環系を作り、人類が持続的に滞在し活動するための空間を創造することや、月以遠や地球との輸送のための燃料供給などという、利用のための基盤を作ることが期待されるのである。
その際、極めて限られた宇宙飛行士や何10億円というお金を払うことのできる特別な人たちではなく、一般の人が普通に旅行したり滞在したりするような世界を、何百人とか何万人などという、より大きな規模で経済的に成り立つ事業の形で、巨大なマーケット創出を考えるべきだろう。現状からの発展として、地上における水素エネルギ利用の一般化や、高度で快適な空間創造との相乗効果で、このような自在な宇宙活動の基盤形成を大きな事業規模で考えることは、次の100年のよい目標設定となるだろう。
ここで視点を変えて、100年よりさらに先の未来の出来事を考えてみる。例えば1万年とか100万年あるいはもっと長い時間のうちには、地球の上ではいろいろなことが起きるだろう。恐竜を絶滅させたとされる小惑星の衝突や太陽活動の変動による氷河期などの変化、あるいは人間の存在の故に引き起こされる温暖化や気候変動など、大規模な異変が起きることは明らかである。その際には、人類のサバイバルという視点で、地球の上で生きながらえることが困難な事態が必ず起きるだろう。何億年以上という時間では、地球はおろか太陽系に人類が現在の状態のままでは存在できないことは、恒星の進化の物理の教えるところによって、必定である。
人類はそこまで生きながらえる前に、別の理由で滅んでしまうだろうし、銀河系を見渡してもそのような文明が存在している証拠もない、との論も一方ではある。仮に人類がさまざまな困難を乗り越えて、その文明を継続させるとすれば、いずれは地球や太陽系を離れて宇宙空間に持続的な人類社会を創るしか方法はない。その第一歩として、地球からもっとも近い月面上に、誰でも簡単に往復することができ、持続的滞在から社会を作るくらいのことは自在にできるほどの技術力を身につけて、その先で起きる困難な状況に対応できるようにしておくべきではないか、との論もまた成り立つ。どちらの立場に立つか、次の百年でどこまでやるべきか、は自明ではないが、ポジティブなビジョンを持って先んじて行うことに価値がある、と考えるのが前向きだろう。
さて、現在の宇宙活動の延長上で獲得すべき技術と、未来に起きるであろう人類のサバイバルの視点から遡って求められること、の両者の100年後の「交差点」で、何をすべきか考えるのがよいだろう。これまでに蓄積された技術を基盤に、月面における水電解実験を手始めとして、「高砂熱学」の環境技術や、脱炭素の文脈で行われる物質とエネルギの熱交換に関わる技術との親和性は極めて高い。ここで述べた多様な議論の切り口から、桁違いに発達する情報技術を駆使しつつ、地球の上、月面上さらには宇宙空間での人類の持続的活動に向けて、「空間創造」を標榜する「高砂熱学」に相応しい研究テーマや実証課題を抽出できるだろう。
人類の住環境の洗練のための技術の高度化、地球の上での脱炭素から出発して、宇宙でのヒトと物質と熱とエネルギをマネージする技術と持続的有人活動、自在な移動と輸送、大きなスケールの宇宙の利用、究極には人類のサバイバル・・・の流れの中で、高砂熱学のビジョンを発信し、守備範囲を広げていく100年として、発展されることを期待します。