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未来への提言 新百年後の日本

イノベーションセンター報 No.37, 2023

早稲田大学 
創造理工学部建築学科
教授 工学博士

田辺 新一

100年後を予測するのは極めて難しいことだ。今から約100年前の1920年(大正9年)に「百年後の日本」と題した特集が雑誌「日本及日本人」の春季増刊に掲載された。1979年に復刻版が出版されている。前路の展望を雪嶺が行っている。雪嶺とはこの雑誌の創刊者三宅雪嶺である。政府の専制主義と欧化主義に批判的立場を取った明治中期のナショナリズムの代表者である。読んでいると興味は尽きない。蒸気に代わる電気、水力、太陽の光熱、地中の熱、飛行機及び潜水艦など技術に関しては現在に通じる議論が行われている。世界における日本を意識した文章が多い。その後に、言論人を含めて370名が100年後の日本を予想している。1918~1920年にスペイン風邪の大流行はあったがほとんど触れられていない。大正時代の雑誌であるので、まだ世相は明るく、未来も楽観的に予測している。未来を語るのが楽観的になるのか悲観的になるのかはその時の世の中の状況に大きく影響する。女性の進出を予測した知識人もいた。一方でこの雑誌でよく当たっているのではないかといわれているのが、平均寿命の延び、9割の洋服化、携帯電話やスマホの登場である。まあ、370名が勝手な予測をしているのだから、当たっていることもあるだろう。しかしながら、地球温暖化に関する記述はない。2050年にはネット・ゼロ(カーボンニュートラル)が実現していないと行けないことから考えるとこれから100年後には当たり前になっているはずである。

研究室では「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画を見て感想を書くようにという課題を出している。1985年の米国のSF映画で、過去に戻るシーンが多いが、第2作で30年後の2015年にタイムトラベルするシーンがある。未来に関しての予測について感想を書いて貰っている。映画撮影時の1980年代は日本企業が世界で活躍していたこともあり、日本人らしい上司がテレビ電話で指示を出すシーンがある。また、室温設定をHEMSのようなものを操作して行っている。映画という自由な条件でも30年後を予測するのは至難の業となる。一つ言えるのは、技術は変わっても住宅や建築でそこで行われているすむことや働くという行為は変わっていないことだ。

冷暖房空調の歴史を考えると暖房の歴史に比較して冷房・空調の歴史は浅い。人類が火を使って暖房をするようになったのはおおよそ100万年前といわれている。一方、近代空調の父はウィリス・キャリア(1876~1950年)である。発明年には諸説あるが1902年に露点温度制御が行える空調システムを開発したとされている。キャリア社の創設は1914年で順調な滑り出しであったが、大恐慌、第2次世界大戦で米国での冷房空調普及は遅くなる。高砂熱学工業株式会社初代社長の柳町政之助氏は、日本の空気調和の父であるが、1923年にキャリアによる技術記事を読んで、事務所建物のための冷凍機は遠心式と直感し、国産ターボ冷凍機の開発に着手したとのことだ。また、1934年に我が国ではじめて「空気調和」の用語を使用した。直訳すると空気調整としても良さそうだが調和と訳したところが素晴らしい。室内の居住者の姿が想像でき、100年後も使われているだろう。私の学生時代の空気調和設備の講義は井上宇市先生が担当されていたが、柳町政之助氏のパイオニア精神はよくされていた。

現在は一人の発見や発明が大きく取り上げられる時代は過ぎて複数の分野による社会課題を解決する研究が求められるといわれる。しかしながら、これでは未来は進展しないだろう。日本の苦しい状態は分かるがその対策を教育研究のせいにするのはおかしい。学者が商人風になったりすることを雪嶺は痛烈に批判していた。1920年の「百年後の日本」発刊後、1923年に関東大震災があり、1929年に世界恐慌が訪れ国際紛争に突入していく。地球温暖化、安全保障など悲観的な予測が多いが、未来について百様の意見を忌憚なく語って、パイオニアを出現させよう。