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未来への提言 熱学が宇宙のフロンティアを拓く

イノベーションセンター報 No.38, 2024

宇宙航空研究開発機構(JAXA)
教授

津田 雄一

かつて人類初の人工衛星として打ち上がったスプートニクは、内部を1.3気圧の窒素で満たし、ファンによる対流で衛星内部の温度制御を行ったという。温度の状態により、送信電波の送信時間が変化する。そんな現代からすると極めて原始的なしかけにより発せられた信号に、世界が驚愕し、米国は深刻な危機感を覚え、そうして米ソの「宇宙開発レース」が始まった。

時代は変わって、現代。無人の人工衛星の温度制御に対流を用いることはまずない。電子機器は熱すぎても冷え過ぎても動かないが、そのために熱の出入りをうまくコントロールする基礎原理としては、伝導や輻射が利用される。対流に比べると熱輸送効率は極めて低いが、気密性が不要で、ただ適切な伝導材や表面材質を選ぶだけで、熱を伝えたり逃がしたりしてくれる。宇宙で気体や流体を扱うのは厄介であることの裏返しとも言えよう。

しかし、電子デバイスの高集積化、高出力化が進むと、そうも言っていられなくなった。伝導や輻射に頼るだけでは賄えないほどの熱を扱わなければならなくなったのだ。そのため、先進的な人工衛星では、熱を輸送する流体管路を設置したり、気化潜熱を利用することも行われている。ただ、これらはやりすぎると配管のお化けになり、重量が命の宇宙機でやれることには、まだまだ限界があるのが実情だ。

そのような特徴が特に顕著になるのが、深宇宙探査と月ミッションだ。

例えば、地球から土星へ飛行することを考えよう。地球の近くでは、1平米あたり1,360Wの熱入力を太陽光から受けるから、それをうまく逃がしつつ、探査機内部を適温に保つ必要がある。土星に行くということは太陽から遠ざかるということだ。土星距離から太陽を見ても、少し明るめの恒星程度にしか見えないであろう。そんな心許ない太陽から受け取る土星距離での熱量はたった13.6W。だから、地球から土星へ飛行するということは、実に1.3kW/m2以上の入熱差に対して、探査機を適温に保温してあげる必要があることを意味する。宇宙工学のそれに対する解決策は、小型省電力化だ。小型なら表面積も減り、外界の変化を受けにくくなる。省電力ならそもそも大面積の太陽電池が不要で、内部発熱も緩和され、熱設計が楽になる。

月の夜は極低温(実に、-170℃以下)が15日も続く。JAXAの月着陸機SLIMは、2024年にこの月の“越夜”に成功したが、まだ実験的な参考結果に留まっており、世界的には研究段階から脱していないのが実情である。越夜のためには、機体を保温材で何重にもくるみ保温すれば良さそうなものだが、現実的にはそんなに重量の嵩むことはできない。だから、ここでも小型省電力が重要となるのだ。

米国は冥王星やその先にも探査機を飛ばしている。彼らが使っているのは原子力電池(RTG)だ。RTGは、ウランやプルトニウムの崩壊熱を熱電変換素子で電力に変換すると同時に、余剰の熱は機体の保温にも使う。太陽光が期待できない環境での半永久的な熱電力源としてRTGは理想的だが、当然ながらその利用には慎重な技術と社会的コンセンサスが欠かせない。

つまり、敢えて大づかみに言うならば、人類が宇宙のフロンティアに乗り出す肝が、熱制御技術だということだ。

これは、深宇宙探査に携わってきた宇宙工学者としての私の強い実感でもある。小惑星探査機はやぶさ2は、高々地球と火星の間の太陽系空間を飛行しただけなのだが、それでも飛行中の熱環境の変化を吸収するために、大きな放熱面を装備して、太陽に近い時の熱を逃がし、その放熱面をヒーターでガンガンに温めることで、太陽から遠い時の保温を行っていた。そうすることで、人類未踏の小惑星と地球の間の往復航行を実現させたのだから、誇れる技術と言いたいところだが、もっと賢い方法がないの?あるべきだ!と思われないだろうか。

今、宇宙が民間ビジネスへどんどん開かれている。低軌道には大学やベンチャー企業の人工衛星が毎月のように打ち上がり、アルテミス計画では「月から火星へ」を合言葉に、火星圏までもが人類の経済活動の対象と捉えられ始めている。我が国においては、それらの技術的先導となるべき宇宙探査も「より遠方へ、より自在に」を合言葉に、より高度な宇宙探査を目指して様々な研究開発が進んでいる。

さて、そこで地上の熱学技術の出番である。宇宙で求められる課題に対して、熱制御技術が直接できることはないだろうか。熱環境制御の地上民間技術が本格的に宇宙転用されたとき、どのような驚きをもたらしてくれるであろうか。月面で酸素やロケット燃料を生成するにも、深宇宙や月での越夜には、能動的に対流・輻射・伝導を制御する技術が欠かせない。熱を制する100年超の技の蓄積が、宇宙という新たなフロンティアに新風となり温暖な熱流束を吹き込むことを期待します。